2007年6月30日

紫陽花


フィルム復活の第一弾はCONTAX T3。あっさり撤退してしまった京セラ/CONTAX最後の銀塩高級コンパクトカメラである。久し振りに使ってみると、寄れないわ、すぐに見れないわで使い難いこと甚だしい(笑) 昔はこれが当たり前だったのだから、随分と便利な時代になったものだ。

2007年6月29日

蒸暑


今日は朝から蒸し暑かった。バス停までの2kmの徒歩と、30分弱の撮影だけで大汗をかいてしまった。夜になっても気温は下がらず、今年初の熱帯夜になりそうだ。

2007年6月28日

ヒメヒオウギズイセン


姫檜扇水仙と書く。なかなか小さくて可憐な花である。FA43mm Limitedの最短撮影距離は45cm。もうちょっと寄れたらな、と思う。

2007年6月27日

石段


薬師の泉は河岸段丘の崖を利用して作られているので、狭い割りには石段が多い。石段をゆっくりと登り降りしながら、庭内の景色を味わうのも実に楽しいひと時である。

2007年6月26日

桔梗


ようやく梅雨らしくなったけれど、今日も早朝には雨が上がった。朝の薬師の泉は薄く靄が掛かっているように見えた。先週はずっと外出していたので一週間振りの訪問となる。一週間置くと違う花が咲いている。白い桔梗の花が美しかった。

2007年6月25日

ランタナ


この花は撮るのが難しく悪戦苦闘したけれど、結局満足のいくものは撮れなかった。おまけに露出アンダーを修正したので荒れてしまった。集合で咲く花は実に難しい・・・

2007年6月24日

放置自転車


ハンドルの中央に警告札のようなものが見えるので、きっと放置されているのだろう。しばらく置いていると、必ずカゴをゴミ箱代わりにされてしまう。マナーの低下が著しい。

2007年6月23日

フレア


予期せぬフレアが全面に出て柔らかい描写になった。夕暮れ前の気怠さには相応しいかも知れない。

2007年6月22日

都会の森


江東区有明、東京ビッグサイト(国際展示場)前。都会の森、管理された森。

2007年6月21日

食わず嫌い


カメラは金属外装でなくっちゃ症候群を患っていた当時は、同時にレンズは単焦点じゃなくっちゃ症候群も患っていた。ズームレンズを嫌っていた理由は、1.単焦点レンズより画質が劣る、2.フレーミングは足で行うべきである、の2点に尽きる。この考え方は基本的に今でも変わってはいないが、初めてズームレンズを購入したのはMZ-3の購入後、子供ができたことが分かった時だった。ちょろちょろと素早く動き回る子供を撮るにはズームが有利だと判断したからであった。実際に購入して撮影してみると画質も思ったほど悪くはなく、充分満足できるレベルだった。幸運にもズームレンズの性能が飛躍的に向上した時期に一致していたのであろう。それ以来、プラボディ同様に、ズームレンズに対する偏見は無くなったが、それでも気合を入れて撮る時には今でも単焦点レンズの出番が多い。

2007年6月20日

金属外装


10年ほど前まではカメラは金属外装でなければならないと頑なに主張していた。今思えば古いカメラが皆金属外装だったからに他ならないのだが、プラスチック製のボディが安っぽく、ちゃちに見えたのも事実である。そんな私のプラボディ・アレルギーを解消してくれたのは、7年前に購入した初めてのAF SLR、PENTAX MZ-3だった。確かに持つ喜びという点では金属カメラには及ばないけれど、実用に徹した潔さというものを初めて実感することができたカメラだった。

PENTAX最新のK10Dでは、手にした時にそれなりの高級感も感じさせてくれるようになり、プラボディも進歩したものだとつくづく思う。しかしながら、金属外装のカメラに持ちかえてみると、そのひんやりとした独特の感触が、決して懐かしさだけではない優位性を感じさせてくれるのである。

2007年6月19日

フィルムスキャナー


家にあるフィルムスキャナーはOLYMPUSのES-10SというSCSIインターフェィスの10年前に購入した古いものである。当時APSをよく使っていたので、APSへの対応が選択の決め手だった。APSは現像後、フィルムがカートリッジ内に巻かれた状態で返される。フィルムは簡単には引き出せないので、インデックスプリントと対で保管しない限り中身が分からない。従って、当時はビューアーとしても活躍していた。

対応OSはWindows9Xのみで、NTと2000では動作しないとはっきり記載されている。XPでも多分動かないだろうと長いこと放置していた。このところのフィルムの誘惑から先日、ふとネットを検索してみるとXPで使用している人が居た。ADAPTECのASPIを入れると動くという。早速やってみるとあっさり動いた。ドライバーは無いのでイメージングデバイスとしては認識されず、?マーク付きのその他のデバイスとしての認識だが、付属ソフトからは何の問題も無く使用できる。

早速、引き出しの隅に転がっていた中身の分からないAPSフィルムをスキャンしてみた。娘が2歳の時、4年前に撮影したものだった。K10DのAPS-Cサイズのセンサーも大分横長だと感じていたが、APS-Hは正にパノラマサイズだ。スキャナーの最大解像度は1,770dpiと今のレベルからすると見劣りするが、ブログなど趣味で使う分には充分だろう。フィルム復活プロジェクトが着々と進行中である(笑)

2007年6月18日

フィルムの誘惑


そもそも、このブログを始めたきっかけは昨年の暮れに立て続けに購入したCaplio R5K10Dという2台のデジタルカメラにあった。ブログでも始めれば箪笥の肥やしにすることなく、もっと撮るようになるだろうという実に消極的な理由だった。今のところ当初の目的は果たせていると思う。しかしながら、実際に頻繁に撮るようになると更なる欲が出てくるもので、眠っている沢山のフィルムカメラ達も使ってやらないといけないという思いに捉われ始めた。

フィルムを再開するにあたって、一番の障害となるのがフィルム代と現像代である。何せデジタルでは殆ど一銭も掛からないので、如何にこのコストを抑えるかが最大の課題となる。

2007年6月17日

ジャンク

K10Dを購入して以来、久々にカメラ熱が戻ってきた。しばらく遠ざかっていたカメラ店にもまた足繁く通うようになった。とはいえ、限られた小遣い生活の身の上、店内一等地のウィンドウは眺めるだけ、もっぱらジャンクワゴンがターゲットだ。ジャンクワゴンというのは壊れていたり動作が不明のカメラやレンズが無造作に放り込んであるコーナーのことで、何故かプラスチックのカゴが多かったりする。値付けは店によっても違うが、大体50円から3000円位までと結構幅がある。この中から壊れたカメラを購入し、修理して再生させるのは立派な趣味と言えるだろう。こちとらそんな高度な技量は持ち合わせていないので、せいぜいレンズを分解してカビを除去する程度だ。それでも結構楽しい。


このレンズは先日そんなワゴンから500円で救出した SIGMA ZOOM 28-80mm F3.5-5.6 MACRO である。テレ(望遠)端の80mmでマクロに切替え、1/2倍までの近接撮影が可能。ワゴンに裸で投げ込まれていたので、前玉に若干キズはあるものの内部は綺麗だ。オートフォーカス(AF)もちゃんと動作する。


写りもなかなかのもの。コンパクトな設計のためか周辺光量が若干落ち気味で、時としてズーム特有のいやらしいボケが出ることもあるが、遠景でも開放からなかなかシャープでデジタルでも充分使える。これは掘り出し物、いい買い物をした。これだからジャンク漁りは止められない(笑)

2007年6月16日

野球場


この区立野球場の使用時間は朝の9時からということで、早朝野球には使えない。ナイター設備があるが、使用できるのは4月から10月までのみ。この期間は21時まで使用可能とのこと。ナイター照明の使用料金は1時間4,000円。民間に比べれば大分安いのだろう。

2007年6月15日

勇足


昨日梅雨入りしたばかりだというのに、雨は明け方早々に上がり、真夏のような天気になった。しばらくはこのまま暑い日が続くという。1日で中休みなんて勇足じゃないですか?

2007年6月14日

梅雨入り


東京もようやく梅雨入りした。平年より6日遅いという。朝は今にも降りそうな空模様であったが、実際に降り出したのは昼頃からだった。


今年の夏はラニーニャ現象が観測されているとのことで暑くなるらしい。暑さというより湿気には滅法弱い質なので日本の夏は苦手である。今のうちから夏バテ対策をしっかりと考えておかねばならないと思う。

2007年6月13日

リベンジ


今日は昨日のリベンジを果たすべく、勇んで乗り込もうと思ったのだけれど、家を出るのが遅れてしまい、結局十分な撮影時間が取れなかった。


さすがに100mmの1/2倍ともなるとピントもブレもシビアだ。K10Dのボディ内手振れ補正機能に助けられているとはいえ、アタッチメントを取り付けた等倍撮影になると手持ちは困難だろう。

2007年6月12日

電池切れ


今日は新たに仕入れた安マクロレンズの試写を兼ねて、初めて薬師の泉にK10Dを持ち込んだ。ところが、15カット程撮影したところであえなく電池切れ。朝方の30分位は持つだろうと予備の電池を持参しなかった。正に油断だ。通勤にはA4のノートPCも持ち歩いているのだが、レンズが軽いせいか思ったほど重くはなかった。しばらくは通勤にもK10Dを持ち歩こうと思う。

2007年6月11日

あじさい


バスを降りるとちょうど雨が上がった。ここの紫陽花は何故かどれも白い。品種によるものか、或いは気候によるものか判然としない。

2007年6月10日

落書き


子供には地面も立派なキャンバスだ。そういえば、最近ローセキで道路をキャンバスにしている光景をとんと見掛けなくなった。

2007年6月9日

立葵


なかなか立派な花が目を引いた。バス停までの2kmの道のりの途中にある小さな神社にて。

2007年6月8日

道すがら


今まで通勤は電車を利用していたのだが、娘が入学して朝一緒に今までより早く家を出るようになってから、2本のバスを乗り継いで通勤するようになった。最近では更に運動不足の解消と小遣いの節約を兼ねて、1本目の区間を歩くようになった。2本目のバス停まではちょうど2km。バスを降りてから職場までは500m。往復で5km歩くことになる。大した距離ではないが、何もしないよりはいいだろう。心持ちか体調も以前よりはいいように思う。

2007年6月7日

小判草 その後


小判草のその後である。同じ株ではないが、すっかりいい色になった。


やはり、小判というよりはワラジに見える。鼻緒を付けて、人形用の小さなワラジを作るのも楽しいかも知れない。

2007年6月6日

クロウリハムシ


昨日のビヨウヤナギの葉の上を歩き回っていた昆虫。ネットで調べたらクロウリハムシというらしい。体長は5~6mm程度。テレ端マクロにて撮影。

2007年6月5日

ビヨウヤナギ


雄蕊の長い花だ。長さを強調するために真横から撮ってみた。

2007年6月4日


薬師の泉は新河岸川の河岸段丘の段丘崖である小豆沢崖線の傾斜をうまく利用して作られている。崖は南から北に向かって下る方向で傾斜しているので、全景を収めようとすると必然的に逆光になる。

2007年6月3日

弔辞


告別式で弔辞を読んだ。驚いたことに弔辞を読んだのは友人代表の私ただ一人だった。私は即座に奥さんと思いが一致していたことを知った。彼はもう居ない。でも、彼との思い出の記録という意味でも、全文を転載する無礼をお許しいただきたい。

弔辞

啓之君、奥さんから知らせを聞いた時、僕はあまりに突然なことで、どこか遠い世界の出来事のように感じていました。僕は今ここに立ち、かけがえのない親友を失った悲しみに打ちひしがれています。

思えば、君との付き合いは中学時代からもう35年にもなる。あの頃、何故か気が合って、頻繁にお互いの家を行き来し、大好きな音楽を聴きながらよく語りあったものだった。大学に入るとお互いに酒の味を覚え、今思うと相当な無茶もした。お互い若かったからね。社会人になってからは君は地方の赴任が多くなり、なかなか会えなくなったけれど、君が山口に居た時には結婚前の今の家内と共に案内してくれた。毎日温泉に通い、美味しい物もたらふく食べた。中でも特大の大皿に盛られた河豚と平目の刺身は圧巻だった。もう二度とこんな贅沢はできないだろうと今でも家内とよく話しています。

ここ数年はアトランタ、サンフランシスコ、上海、そして日本と世界を駆け巡り、いつも忙しい日々を送っていた君。僕はちょっと心配で、体だけには気を付けるようにといつも言っていたけれど、君は大丈夫だとばかりに微笑みを返すだけだった。そんな忙しい日々の中でも、帰国した時には何とか時間を都合して、これから飲もうといつも誘ってくれた。僕は君と過ごすかけがえのない時間を求めて、いつも湘南新宿ラインに飛び乗ったものだった。そんな中、君がいつも目を輝かせて語ってくれたヨセミテ国立公園の大自然を、僕の家族にも見せたいと今度の夏休みに招待してくれた。でも、つい先日、ごめん夏休みのヨセミテはだめになったと電話があった。聞けば日本に戻ることになったという。僕は喜んでまた家族と一緒に過ごせるのだからよかったじゃないかと言ったけれど、君は何だか申し訳なさそうだった。

それが君との最後の会話になろうとは夢にも思わなかったよ。日本に戻れることになった途端に逝ってしまうなんてあんまりじゃないか。君の結婚式で祝辞を述べさせてもらった僕が、今こうして最後のお別れもしなければならないとは本当につらい。ご家族の悲しみもいくばくのことかと思う。でも君は僕がいつまでも嘆き悲しんでいることを決して望まないだろう。もう君と顔を突き合わせてグラスを傾けることはできない。でも、僕はこれから独りで飲む時でも、きっと君が側に居てくれる気配を感じることができると思う。そう、君は千の風になって僕らを守ってくれると信じている。

僕は今、君というかけがえのない親友を持てた幸せを噛み締めて、これからの人生を歩んで行こうと思う。たくさんの思い出をありがとう。今はただ、安らかに眠ってください。

2007年6月2日

通夜


この八年の間に親しい友を三人も失ってしまった。通夜の会場に着いて、式の看板に書かれた友の名を見る度に、つらい現実に直面する。

2007年6月1日

千の風になって


みつぼに行った。もう二度と君と顔を突き合わせて飲むことは叶わないのだ。しかし、私は感じていた。確かに君の気配を感じていた。そうか、君は千の風になったのだ。千の風になってあの大きな空を吹きわたっているのだ。